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創業者 三島海雲
「国利民福」の精神一流の人物との交流アイデアマン一粒の麦になって
アイデアマン
 三島海雲は、優れた経営者であるだけでなく、卓抜なアイデアマンでもありました。
「広告の狙いは、商品そのものを売ることではない。カルピス社という企業体のイメージを一般大衆の心のなかに送り込むことである。」
海雲は、『なるほど、カルピスという会社は立派なことをする会社だ』という好印象として受け取られ、会社への信頼を勝ち取ることこそが広告の真の目的だと考えていました。

 そして、広告を行なう信念としてあげたことが、「企業が安定し成長していくことは、一般大衆のおかげであり、その大衆の好意に対して、企業としては当然報いなければならない。その一つの方法として大衆のためになる広告というものを考え、実行する」ことでした。
「初恋の味」のキャッチフレーズ

「初恋の味」の広告
(大正12年:伊原宇三郎 画)

「初恋の味」初めての広告
(大正11年)
  「カルピス」のキャッチフレーズ「初恋の味」は、1920(大正9)年、三島海雲の文学寮時代の後輩である驪城(こまき)卓爾が『甘くて酸っぱい「カルピス」は「初恋の味」だ。これで売り出しなさい』と提案したことがきっかけでした。大正9年当時といえば、“初恋”という言葉さえはばかるような時代だったため、海雲は、一度は『とんでもない』と断りました。

 しかし、また驪城は海雲を訪ね、『「カルピス」はやはり初恋の味だ。この微妙・優雅で純粋な味は初恋にぴったりだ』とすすめました。海雲は、『それはわかった。だが「カルピス」は子どもも飲む。もし子どもに初恋の味ってなんだと聞かれたらどうする』と言うと、驪城は『「カルピス」の味だと答えればいい。初恋とは、清純で美しいものだ。それに、初恋ということばには、人々の夢と希望とあこがれがある』という言葉に海雲も納得し、1922(大正11)年4月の新聞広告にキャッチフレーズとして使用したのが始まりです。

  当初は、世論を二分するほど話題になりましたが、好景気で世の中は明るく、このモダンなキャッチフレーズは世情にマッチし、またたくまに日本中に広がっていきました。
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大衆参加の広告活動
 広告・宣伝活動の一つに、動物愛護協会とタイアップで実施した伝書鳩レース(1922年)があります。富士山頂から東京・日比谷公園まで100羽の伝書鳩を飛ばし、その所要時間を当てるクイズ懸賞でした。動物愛護運動の一端を担う意義を持つこのイベントには、政治家など著名人も数多く参加し大好評を博しました。

 他には野口雨情、西条八十、北原白秋、葛原茲と当時人気のあった童謡詩人を選者にし、小学生からの童謡を募集しました。この童謡募集には約2万3,700編の応募がありました。

 また、日比谷公園において開催した9m四方の大きな碁盤をつくった囲碁大会は、娯楽の少なかった時代に人々の楽しみを提供したいと考えた海雲の発想から生まれたもので、大きな人気を呼び、当時の棋士の協力を得て成功を収めました。

募集童謡の選者たち(前列左より、西条八十、葛原茲、野口雨情、北原白秋。後列左:海雲)

日比谷公園囲碁大会
「空中マラソン競争」広告
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欧州で募集したポスターデザイン懸賞

1等のデザインポスター
A・イェーネ(独)

2等のデザインポスター
M・ビットルフ(独)

肉筆ポスター展覧会
  1923(大正12)年には、第1次世界大戦後のインフレに苦しむドイツを中心とした欧州の商業美術家救済事業として、「カルピス」の宣伝用ポスターデザインの公募を行い、各国から計1,400点を超える作品が集まりました。

  このアイデアは、美術家たちの救済策であると同時に、欧州に比べて格段に遅れていた日本の商業美術界に新風を吹き込もうとしたものでした。1等賞は500ドル、2等賞は200ドル、3等賞は100ドルとし、入賞以外の応募作品も日本で公開し、競売にかけて代金を応募者に送りました。これらの作品の数々は、東京・大阪・福岡・福井・石川で行なわれた展覧会でも大きな反響を呼びました。

 なお、長年にわたって愛されてきた“黒人マーク”(1990年に使用を中止)のデザインは、この時に3等に入賞したドイツ人のオットー・デュンケルスビューラーという著名な図案家の作によるものでした。
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